日本における若者の貧困と東京ドリーム学園

前回は新年早々、年末からに引き続き貧困について話題にした。
新年にはふさわしくない話題だったとは思うが、
今回もその話題を引き継ごうと思う。
 
本来ならば、新年であるからもう少し明るい話題のほうが良いとも
思ったが、この流れでしばし書きたいと思うので
自分の感じてるままを記していこうと思う。
 
今日は、日本における若者の貧困を調べてみようと思う。
日本の若者と東京ドリーム学園の若者、比べるのもどうかと思うが、
勢いがあるのは東京ドリーム学園の若者ではないだろうか。
 
何故ならば、理由は簡単である。
目的が明確だからだ。
東京ドリーム学園の彼らは、目的があって異国の日本に来て勉強をしているのだから
勢いがあって然るべきなのだ。
 
かたや、日本の若者は、今は安定志向と言われたり、
男子に至っては草食系という装飾語まで定着してしまっているくらいである。
 
日本の若者も、東京ドリーム学園に通っている彼らくらい
志高く活動している者ももちろんいるだろうが、
若者の印象としては、やはり勢いを感じないのである。
 
日本の若者を調べようかと思った時、
検索サイトで、「日本 若者」といれると
「貧困」という言葉が出てくる。
 
それほど、調べる人が多いのか、それについて書かれているものが多いのか。
 
社会問題であることには間違いない。
日本の若者も、東京ドリーム学園で学んでいる
異国の地からやってきて、志高く勉強をしているであろう彼らと
同じくらい熱心に物事を取り組めているのならば、
貧困という言葉は近づいてこないのではなかろうか。
 
昔は、貧困という言葉と若者がリンクするのは
考えられなかったが、
今は簡単に結びついてしまっているのも問題だと思う。
 
昔は状況的に同じように貧困であったのかもしれないが、
貧困と認識することもなく、がむしゃらに物事に打ち込んでいたり、
モチベーション的に貧困ということを認識していなかったのではないだろうか。
 
今は、貧困という言葉で表すことで、
何か社会問題として取り上げて、結果、若者をその言葉に逃げ込んでいるようにも
思えてきてならない。
 
もっと、活力ある若者が増えてきてほしいものだ。